Ja'Gwaan?

>>Japan/Jamaica News<< レゲエミュージックから政治まで!

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善良な市民

『六ヶ所村ラプソディー』というドキュメンタリーの上映会が、市の主催でありましたので
行って来ました。

rokashomura.jpg

角砂糖5個分で、1億人以上(日本の全人口)を殺傷するほどの威力があるものを作り出し、

100万年以上も経たないと、その有毒性が消される事のないものを扱う、

そんな工場が本当に必要なのか。

そんな工場が必要なほど、日本はエネルギーを無駄遣いしているんだ、

という事実もそうだけど。



そんな工場を稼動させることに、命がけで反対する本当に脆く弱い存在の卵な人たちと、

そういう工場があることで、生計をたてられるのだし、将来の日本のためには
そんなエネルギー供給も必要なんだと、信じて疑わない人たちと、

「もう年だから関係ない。別に知りたくない」という、表には出てこない静かな人たちと、


果たして誰が、「善良な市民」なのだろうかと、
ふと考えさせられる。


金と権力で地球を、小市民の生活を破壊する、バビロンマンたちを作り出してるのは、
「無関心」を貫き通す、そんな「善良な市民」なのでは?、と。

ふと、思うのです。



出演者の方の発言は、どれも印象的だったけれど、「中立」な立場を取っていたという
完全無農薬のお米を愛情たっぷりにつくっている、苫米地(とまべち)ヤス子さんの言葉が
心に残りました。

この問題については、「中立」というのは無いといわれたんです。
何も態度を示さないということは、「賛成」していることと同じですよ、と。
中立というのは、実は一番楽だったんです。
でもそれじゃダメだったんだと・・・・」

反対の意思を表明するのは、とても大変だし、疲れるし、しんどいし、めんどくさいし、
できればしたくないけれど、
そうすべきときが、きっとあるはず。
Tomabechi.jpg

苫米地ヤス子さん (c)六ヶ所村ラプソディー オフィシャルHP

こんな優しい苫米地さんの、静かな決意に、わたしはまた動かされたのでした。

  1. 2009/03/09(月) 10:54:59|
  2. voice

臭う 匂ふ

最近、におってます?


Kingston1.jpg

@Kingston.JA


日々いろんなものを見て、いろんな音を聴いて、いろんなものに触っているけど、

本当にいろんなものを味わって、

そしてにおっているかしら?と。


とりわけ、体臭が少ないうえに、香水も好まない、清潔・殺菌・消毒好きの国に住んでいると
おもいっきり臭うぜぃ!いぇい!という機会は少ない。
わたしとしては、ちょっと残念な。




臭いを匂いをかぎに、旅に出ていた?

記憶に残るのは、いつも「にほい」。



朝市の、採れたての魚と、さばきたての肉と、腐りかけのもろもろと、香辛料の入り混じったにおい。

らくだの上の葉タバコのにおい。

ドラム缶からわきでる、ジャークのにおい。

ダンスに充満する、ミドリちゃんのにおい。

田園風景にかすかにひろがる、やさしいお米のにおい。

朝のゲットーの、掃き溜めのにおい。

そして離れていて懐かしいのは、いつも大好きな人のにおい。


・・・
きっと私って匂いフェチなのかも。
人にいわせると、犬なみの嗅覚だし、というのもたとえば、
改札前で待ち合わせしていて、相手が見えなくても、その子がいつもつけている香水がふと
匂ったら向こうのほうから歩いてくるのが見えたとか。
とにかく匂いかぐのが好きなんですね。
ジャマイカツアーに同行していて、帰りの空港に向かうバスの中で、
航空券をお客さんに配って、その航空券の匂いをクンクン嗅いでいたら
(航空券の匂いが単純に好きで・・・)、アテンドしてくれていたricoさんに驚かれた、とか(笑)
えにうぇい・・・




目には見えないもので、一番感じやすいのはにおいだし、



嗅覚が冴えると、そこにリアリティがあるような。


そんな気がする
  1. 2009/03/04(水) 11:16:03|
  2. voice

春樹 speaks...

世紀の大スピーチ。

静かなしずかな感動が、さざ波のように心をゆさぶります。

村上春樹
(c)Guardian.co.uk
村上春樹とイスラエルのペレス首相

真の天才、村上春樹がイスラエルの文学賞エルサレム賞を受賞した。

朝、キッチンでコーヒーを入れていると、居間から
「ハルキがエルサレム文学賞を受賞したんだってー」との声。

「へぇー」とわたし。
とっくにノーベル文学賞くらい受賞してても、おかしくない人だと思ってたから
そんな小さな文学賞をとっても驚きゃしないわ。なんて思ってた、けど、へ?ちょい待って。
「エルサレム?」

「まさか授賞式とか出ちゃってるわけ?」
「うん、そうみたいよ。テレビでてる」

そうか・・・。受賞しちゃったのかぁ。
ガザ侵攻に抗議して、ハルキだったら辞退してくれても、良さそうなのにな。
まぁでも小説家なんだし、自分の作品が評価されるということは、うれしいだろうし。
なんて、ひとりで悶々とコーヒーにお湯をおとしながら考えていると

「みてごらん」

呼ばれてテレビの前に立って、そのスピーチを聞いて、

しびれた。



空爆を指示した、まさにその人を目の前にして、じつに文学的に詩的に、
しかし断固としてそして毅然と、
その卑劣さを、抗議していた。

人間が持ちえる、「最大限の才能」と「最大限の勇気」と、「最大限の誇り」を
持っているひとの、姿だった。


以下に抜粋文(Jarusalem Post)から、転載。日本訳。
ぜひおおくの人に読んでいただきたい。


==============================

So I have come to Jerusalem. I have a come as a novelist, that is - a spinner of lies.

そうして、わたしはエルサレムに来ました。
小説家として、つまり嘘のつむぎ手としてです。


Novelists aren't the only ones who tell lies - politicians do (sorry, Mr. President) - and diplomats, too. But something distinguishes the novelists from the others. We aren't prosecuted for our lies: we are praised. And the bigger the lie, the more praise we get.

なにも小説家だけが嘘つきというわけではありませんが、政治家も(大統領、すみません)、
そして外交官だって、嘘はつきます。
でも小説家というのが、他のすべての人とはちょっと特殊なのは、わたしたちは嘘をついても
告訴されることもありませんし、逆に賞賛されるのです。
うそが壮大であればあるほど、讃えられもします。


The difference between our lies and their lies is that our lies help bring out the truth. It's hard to grasp the truth in its entirety - so we transfer it to the fictional realm. But first, we have to clarify where the truth lies within ourselves.

わたしたちと、彼らの嘘との違いは、わたしたちの嘘は「真実を明らかにする」ことを手伝うということです。
全体をとおしての真実を掴むことは、ひじょうに困難なことです。
だからわたしたちは、それを虚構の領域に転換するのです。
しかしまず始めに、わたしたちの嘘のどこに真実があるのかを、はっきりさせる必要があります。


Today, I will tell the truth. There are only a few days a year when I do not engage in telling lies. Today is one of them.

今日、わたしは真実をかたります。
一年でわたしが嘘を語らない日は、ごくわずかしかありませんが、
今日はそのうちの一日です。


When I was asked to accept this award, I was warned from coming here because of the fighting in Gaza. I asked myself: Is visiting Israel the proper thing to do? Will I be supporting one side?

わたしがこの賞をお受けするかどうか尋ねられたとき、ガザでの争いのためにここに来ることに警告をうけました。
わたしは自分自身に問いました。
イスラエルを訪ねることは、適切なことなのだろうか?
一方の側を、支持するということになりはしないだろうか?

I gave it some thought. And I decided to come. Like most novelists, I like to do exactly the opposite of what I'm told. It's in my nature as a novelist. Novelists can't trust anything they haven't seen with their own eyes or touched with their own hands. So I chose to see. I chose to speak here rather than say nothing.
So here is what I have come to say.

わたしは少し考えて、そして来ることを決意しました。
多くの小説家がそうであるように、わたしも言われたことと逆の行動をしがちです。
小説家としての気質なのです。
小説家は、自分自身の目で見たもの、自分自身の手で触れたもの以外は何ものをも信じません。
ですからわたしは、自分自身の目で見ることを選びました。
そして無言でいることではなく、ここに来て、話すことを選んだのです。
そしてわたしが言いたかったこととは、このことなのです。


If there is a hard, high wall and an egg that breaks against it, no matter how right the wall or how wrong the egg, I will stand on the side of the egg.

もしそこに、硬くて高い壁と、それにぶち当たって割れる卵があったなら、
どんなに正しい壁、もしくは間違った卵だろうと
わたしは卵の側に立つでしょう。


Why? Because each of us is an egg, a unique soul enclosed in a fragile egg. Each of us is confronting a high wall. The high wall is the system which forces us to do the things we would not ordinarily see fit to do as individuals.

なぜか?
なぜならわたしたち一人一人が、割れやすい殻の中に、それぞれ唯一の素晴らしい
魂をもつ卵なのです。
わたしたち一人一人が、高い壁に立ち向かっているからです。
高い壁というのは、尋常ではないと思うようなことでも無理やりにさせるような、
システムのことです。


I have only one purpose in writing novels, that is to draw out the unique divinity of the individual. To gratify uniqueness. To keep the system from tangling us. So - I write stories of life, love. Make people laugh and cry.

わたしが小説を書く唯一の目的は、人間ひとりひとりが持つ、とてもユニークな神性を描くことにあります。
唯一無二のユニークさを喜び、わたしたちを混乱させるシステムから距離をおけるように。
だから、わたしは人生のストーリー、愛を書き、人々を笑わせたり、泣かせたりしているのです。


We are all human beings, individuals, fragile eggs. We have no hope against the wall: it's too high, too dark, too cold. To fight the wall, we must join our souls together for warmth, strength. We must not let the system control us - create who we are. It is we who created the system.

わたしたちは全て人間、比類なき一個人で、壊れやすい卵です。
わたしたちは、壁に対して無力です。
それはとても高く、とても暗く、とてつもなく冷たいのですから・・・。
その壁と戦うために、わたしたちは思いやりと強さのために、すべての魂を一つにしなくてはなりません。
システムにコントロールされてはなりません。
そのシステムとはつまり、自分たちがつくったものなのですから。

I am grateful to you, Israelis, for reading my books. I hope we are sharing something meaningful. You are the biggest reason why I am here.

イスラエルの皆様にわたしの本を読んでいただき、非常に光栄です。
なにか意義あることをわかちあえていることを、願っています。
わたしがここにいるのは、あなたたちのおかげなのですから。

======================================================






英国Guardian紙によると、受賞前、パレスチナの政治団体より「受賞を辞退するように」という
圧力がかかっていたそうです。

また過去の受賞者アーサー・ミラーなどは、式に出席することを拒み、ビデオでイスラエル・パレスチナ問題を
抗議したとか。
面と向かって、正々堂々と自分の意見を言う、ということは非常に勇気のいることです。

絶対に相手から攻撃されない高台にいて、下にいる人たちに向かって言いたいことを言うようなことは
誰にだってできるし、ある意味、何もいわないことより卑怯なことだとわたしは思う。


また面と向かって、相手に「意見する」場合、相手を憤慨させてしまっては、自分の思いは伝わりません。

相手を憤慨させず、冷静に聞いてもらえるということはまたとても難しいことだし、
相手に解釈させる自由をあたえているというのは、さすが神業の域。


わたしも個人的信条として、他人の意見だけで、とある人やとある事象を判断しないようにしている
けれど、自分でその人やその事を見てもいないのに、他人の意見や噂話で判断してしまうようなこと
がどれだけあるだろうか?

ささいな発言ひとつで、多大な影響をあたえる立場にいるのに、真に人々を導くような
言葉を持つひとは、じつはほんの一握りしかいません。


この春樹のスピーチは、本当にいろんな事を示唆しているように感じます。



稀代の天才・村上春樹。
現代日本の真のヒーローではないでしょうか?

  1. 2009/02/17(火) 10:57:16|
  2. voice

スピリチュアリティ

この言葉を目にして、あなたはどう感じましたか?

「なーーんか、うさんくさ」「近づきたくない」「ふんっ(鼻笑い)」

もしくは

「本来的な(自然な)すがた」 「すべての人が持っているもの、目ざめるべきもの」
「あらゆる芸術のみなもと」


‘科学教’のよき信者である、日本の多くの人たちは前者がやはり、
多いのかと。
極端な拒否反応をしめす人も多いですよね。

後者になるには、いつか誰かから教えられるものではないので
ある時自分で、「気づく」しかないからです。

でも前者の人たちも、ふと見あげた夜空に、煌々と輝くフル・ムーンをみたとき、
なにも感じないということはないのでは、と思います。

わたしたち日本人の遺伝子レベルで感じる、アニミズム的感覚、自然とのつながりや
宇宙との一体感というものは、ふだんは眠っていても決して消えないもの。


私の眼鏡は曇りすぎていて、まだはっきりと真実は見えないケド。


やっぱりアートってなんでも、そのつくり手が、スピリチュアル的にめざめていないと
結局どこかで見たことや、聞いたことの、コピーになってしまう。

もしくはコピーをちょっといじっただけのもの。


それってまったく新しくないし、人の心を感動させることなんてできないんですよね。

心にズシーンとくるものって、やっぱり‘オリジナル’で「未知なる世界の境遇」
という感じがするもの。


人一倍、警戒心がつよい私(きりん級)も、ジャマイカのレゲエ・アーティスト達の
パーソナリティを知るにつけ、驚くほどみなスピリチュアル的にめざめているということに
妙になっとく。



あの島は、足を踏みいれただけで、ものすごいエネルギーを感じます。

カルマの法則(いわゆる因果応報ね)もとても顕著で、
ひとびとは神、もしくは霊的なパワーを否が応でも感じざるをえないんでしょう。

日本の人だったら、たとえばバリ島などで、そんな体験をした人も多いかも。

ギャングスタ・ラスなんて、チャラっぽい名前のついたMungaすら、この目ざめよう。
(むりやりなもっていき方だけど・・!)

今月のRiddim誌です。
perrysmunga.jpg
(c)Lee Perry myspace
ムンガ&スクラッチ様

まぁ、未知との遭遇ほどの感動は、正直「???」だけども、ムンガの瞳ってかわいいよね。
へへーぃ、スクラッチさまには誰もかないまへんがな。ミスター・宇宙さん。

  1. 2009/02/12(木) 22:50:48|
  2. voice

バビロンを燃やせ その1

一人でもできる!?バビロンを燃やす運動 その1


「安モン不買」運動

100円ショップ、大安売り、1個38円の豆腐、とにかく一番安い食材とか、
一番安い洗剤とか、買わない。
できれば大手スーパーとかで買い物しない。アウトレットって、なに?

そういうものを買う行為自体が、バビロン・システム

                      equal

                    大量生産/大量消費
                    安い人件費追求(派遣とか、外国生産(中国・タイ)とか)
                  
                   に加担していることだからね、と思うの。

今話題の「派遣ギリ」とか「中国産食物の危険性」とか、企業とか中国があたかも悪者のように
設定されてあーだのこーだの言っていますけど、そういうものを買う行為自体、自分たち
加担してると思うのですよ。

しょせんヤスモノガイノゼニウシナイ。
なんだけど、やっぱり安いもの買いたくなるよね。

でも、ちょっと考えて。安いもんいっぱい買って無駄に捨ててたりするじゃない?

経済政策で「モノを買え買え」ってバカの一つ覚えみたいに政治家はいうけどさ、
無駄なもの買う人がいるから、無駄なものを大量に作る人がいる。
それが「無駄な」残業、「無駄な」仕事、「疲れた」自分を作って、ダラダラとアウトレットとかで
買い物するしか休日に何もしたくない、なんて悪循環を生んでるかもしれんし~

高いものって、それだけ人の手がかかってたり、材料をきちんと作ってたり。
そういうものを買うことで、そういう人たちをリスペクトして応援することにもなるとおもうよね。



モ・ファヤ!
  1. 2009/01/28(水) 19:44:37|
  2. voice
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