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菜食のススメ? 2

一番わかりやすく説明できるので、自分を例にとって話してみます。

でも私の場合、魚介はもりもり大好きだし、チキンはちょこちょこ食べるし、菜食などとは全く言えない
部類。
清兵衛的にいうなれば、「菜食の末席を濁しまくっている」程度です。
でも、一度人が肉を止めてみよう、という思いに至った経緯というのは、なんとなしに理解戴けるかと。


菜食主義という洗礼を受けたのは、思い返せば学生時代のインド旅行。
2299204203_623036ab60.jpg
(c)Flickr


インドといえども広し、わたしは北西部の田舎へ行ったこともあって、約3週間の間‘肉’というものを
ほとんど見かけることはありませんでした。
食事はもっぱら、カレーというより野菜の油煮。「タンドリーチキンよー!お前はどこじゃー」などと
心の中で思いながら、まぁそれなりに野菜生活を満喫したのでした。
(そりゃデリーとかの観光都市いけば、いくらでもお肉ありましたけども)

インド発祥のヨガ熟練者も、肉食をしないということは有名です。
彼らにとっては、肉体を超越して、精神性が高まれば、自然と肉はいらなくなるということです。
すごいヨギー(というよりサドゥー)にいたっては、顔を地面に埋め込んで、肉どころか
食べ物一切、水も空気もなしで生きているというのだから驚きです。


インドの菜食主義者は、もちろん宗教上の理由からくるひとがほとんどで、この旅では
まったく肉のない世界ということに、異国文化という以上の影響を受けることはありませんでした。

続いてが、アイランドツアー元社長Tさんのラスタ的菜食主義。
初めてお会いしたときは「へぇラスタなんだー。すごい」なんて思ったものですが、
社長はバリバリのヒッピー世代でもあるし、きっとその方向からの影響もあったのではと
今では思います。
でも、ナチュラルハウスで菜食弁当を買う社長を尻目に、「土曜はやっぱりマックの日♪」なんて
平気でマック臭を社内に充満させていた有様。
ところで、余談ながらこの時点でも、もともと牛肉はあまり好きではなかった私。
牛さんは好きですけどね。ビーフは嫌いでも、カウは好き。アメリカ嫌いでもアメリカ人は好き、
みたいなもんですか・・?

だからマックでも基本は、フィレオフィッシュはチキンタツタなんかでしたけれど。

「オエェェ」という社長に、「お肉が食べれないなんて、なんてかわいそうなお人」なんて
思ったりもして。

でもなんかね、ラスタの「体という神殿を血で汚してはならない」という一説には、妙にシンパシイを
感じていたものでした。

なんか、ラスタだったら納得いったんですよね。


それで、ジャマイカ滞在中。
以前は、いつもジャーク。どこでもジャーク。もしくはアイランドグリル。もしくはKFC。とか
とにかくジャンクなものばかり。
日本ではそこまで食べないけど、なんかジャマイカで食べると旨いんだよなぁなんて思いながら
食べまくっていたわけですが、初めて長期滞在をした時に、半居候させていただいた、Aさんが
菜食主義者だったこともあり。
家ではいつも野菜オンリー。でもその手料理が、なんとまぁ美味しかったこと!
そしてもちろん外でもヴェジタリアン・レストラン、オンリー。
それがなんとまぁ、感動的に美味しかったこと。

ジャマイカにはヴェジタリアンが多いこともあって、ヴェジレスも充実していたんですね。

純粋に、美味しいのと、あとは体にも明らかな異変が・・・。

それはまず、便通。
快便を通り越して、爽快便とでもいいましょうか。毎朝起きると、それ。
腸が軽いと、心も軽く、腸がきれいだとお肌もきれいになるわけです。

そうして心にも明らかな異変があったわけです。


わたしはもともと、闘争心(?)が強く、じぶんの中の攻撃性というものを持て余していた部類。

肉というのが、そうした攻撃性にさらに文字通り油を注いでいたのにも、気づかされました。


それで思ったわけなんですよね、あ、菜食っていいかもと。

これは本当に身をもって感じたことです。



肉というのは、やっぱり血なんだと。
牛でも豚でも、屠殺場というのは、それはそれは悲壮な声が響き渡っているそう。
殺されるときに生き物は、ものすごく負のエネルギーを発するといわれていて、そうした肉を
体内に入れるということは、そうした負のエネルギーをも取り込むことになります。

それに加えて、現在の牛、豚、鶏の飼育状態というのは、おぞましいものがあって、
牧場でのんびり育てられる家畜は、ほぼ皆無です。
わたしたち日本人は、どこか牧歌的な純粋さを捨てきれない民族ですから、お肉はそうした牧場で
作られてると信じ込んでいますが、実際はせまい家畜小屋に押し込まれて、ただ肉となるために
生まれ、そして死んで(殺されて)いくのです。
そんな肉、旨いですかね?

そうして狂牛病や、鳥インフルエンザなどの疫病が出てきたのは、むしろ必然とさえ思われます。

これは個人的な思いですが、ある意味では、じぶんで育てた鶏をじぶんで絞めて食べるなら
ぜんぜんアリかな、とわたしは思っています。

これはわたしの菜食主義が、罪とは関係のないところにあるからですが。


これも海外のとある朝市での出来事。
鶏の子供、(いわゆる若鶏ってやつですね)が足首を持たれて逆さ吊りにされ、地元のおばちゃん
に買われていくその姿がいかにも、ドナドナで(笑)
もう、憐れとしかいえないような声を発しているわけですよ。

肉を食うというのは、やっぱりそういう声を無視してでも、じぶんで絞めて食うっていうことなんだ
とあらためて実感させられて、日本みたいにスーパーで細切れにされて、パックにされて
臭いもなくてっていうのは、なんか違うんじゃないかと思ったわけです。

まぁかといって、ほんの一時は完全に肉断ちしたものの、
わたしは上にも書いたように、鶏肉は食べちゃうわけですが。

でもこれも、言い訳として付け加えるなら、豚や牛は殺してまで食べたいとわたしは思わない。
けれど鶏なら殺して食べれるだろう、という観測に基づいているというか・・・
ハイ言い訳です。
玄米食を貫徹できていないせいかと思います。


マクロビオティックの良いところは、ただの菜食ではないところ。
つまり、大前提に「玄米食」というのがあります。

玄米というのは、まさに栄養食の王様で、その栄養バランスの絶妙さは以下表参照で。
玄米

玄米を取っていれば、自然と副菜は少なくても問題なくなる、ということもわかりますし
糠の油分も多くとることになるので、肉などの動物性油を大量にとりたくなることも
なくなってくる、ということです。


最後にここまで、推し進めてなんですが、結局はマクロビオティックの創設者桜沢如一さんも
著作のなかで、「食養をして、健康な体が作られれば、最終的には何を食べても健康で
いられる」とのたまっているわけで。

結局、体が欲するものを食べるのが一番なんですよね。


ちまたにあふれる「健康食品」とか「健康神話」、「からだにいい」と言われている食べ物は
ほとんどの人にとって、体に「悪い」そうです。
だって、そうやって摂るのって、結局からだの声を無視して、情報に流されているだけですから。

本当にそれを体が欲していますか?

そこんとこ、ひとつよろしくということで。

お後がよろしいようで・・
  1. 2009/04/22(水) 10:05:25|

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